今回は、新潟の旧山古志村まで、棚田を見に行く。
棚田は、農家の方が古来より大切に守り抜いてきた、
歴史的造形物と同時に自然と人とが作り上げてきた芸術作品といわれている。
そこで、新潟オフィスのリーダであり、地元では、野菜社労士といわれ活躍している
斎藤さんの案内で全国的にも有名な旧山古志村の棚田を案内してもらう。
山古志村といえば、今回の地震の被害依然に新潟で大きな地震があって村が、
水没してしまった光景を覚えている方も少なくない。
山古志村に広がる田園風景は、そんなことがあったのかとおもわせるほど、鳥がさえずり、
カエルの合唱が村にこだましのどかな風景がそこには広がっていた。
しかし、ふと山を仰ぎ見ると、底には、赤茶けた山肌をさらした、地震の爪あとが今も
残っている。今回の現地で見た3.11の強大地震が、オーバーラップする。
そして、
屈託のない笑顔で話しかけてくる現地のお母さんたちの顔をみていると人間ってすごいなあ。
と感心してしまう。
棚田は、古くは室町時代の文献にその記録があるという。お米が取れない土地でも
その当時、農家の方々は、どうしてもお米が食べたかった。山にへばりつきながら、棚をつくり
ため池をつくり、崩れてもまた新しい棚を作り続けてきた、その執念と農耕を基本とした日本歴史
の集積がそこにはある。そして、雨風で崩れたら崩れた形で、自然に逆らわず、その土地をならし
また、新たな棚田を作る。
山古志村でも地震で棚田が崩れたそうだ。
しかし、私の目の前には、この棚田を守り通してきたその村の誇り、
そして日本の伝統の尊さが、目の前に広がっていた。
村のお母さんが、野生の烏が遊びに来たと私に呼びかける。
山では、烏も人間の友達だ。
山の烏がないている。烏の鳴き声まで、都会の烏とちがってのどかにきこえる。
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