『地球のハローワーク』という本を読んだので、ご紹介いたします。
世界中の国の人々が働いている様子が、
写真として収められている本です。
言葉を発することのない一枚一枚の写真から、
そこに生きる人々の物語が浮かび上がってきました。
アフガ二スタンにて、休憩時間中に一服する炭鉱労働者~
顔も手もすべてすすで真っ黒で、
顔中に走る皺の部分だけすすがつかず肌色。
カメラを直視する眼が鋭く力強い。
彼の力はとこから湧いてくるのだろうか。
大切な家族、明日の夢、国を愛する気持ちだろうか。
イタリア・ベネツィアにて一日の仕事を終えたゴンドラの船頭~
船頭の背中からは安堵の吐息が伝わり、街も静かに呼吸しているようです。
夜が明け新しい朝がくれば、再び街へ繰り出し、
街中を走る血液の様に、ベネツィアを活気づけるのだろう。
あらゆる国々の300ほどの写真を通して強く感じたことは、
働くことと生きることは、とても近いということ。
働く様子の写真集であるが、力強く粗野に、
時に厳かに、「生きてやる」という響くような声が聞こえてきそうです。
また、働く人々のひとつひとつの物語が、
村をつくり、街をつくり、国をつくり、世界をつくっていることを感じました。
世界中の今日の仕事が明日をつくり、命をつないでるのです。
そのようなことを思うとき、立ち止らずにはいられない一枚の写真がありました。
パキスタン・シアルコットにて拳銃を組み立てる10歳前後の少年たちの写真です。
薄暗い土間の床に胡坐をかき、
睨み付けるように拳銃を見つめ、真剣に組み立てている。
写真からは、その拳銃が何のために使われるのか知ることはできないが、
少年たちは知っているのだろうか。
拳銃を睨み付ける少年たちの目は、どのような明日をみつめているのだろうか。
ふと、カンボジアで出会った小さな少女のことを思い出しました。
彼女は6歳の女の子で、
40ヘクタールほどのゴミの山の隣にあるスラムで暮らしており、
ごみの山が彼女の仕事場でした。
彼女の仕事はゴミの山から宝物(売れそうな物)を探すことだと言っており、
悪臭を発するゴミの山は、彼女にとってはまぎれもない宝の山です。
視界すべてがゴミに埋め尽くされ、悪臭で眩暈がするわたしの傍で、
彼女はエネルギーに満ち溢れ、瞳はキラキラと光っていました。
そこで、彼女の大切なものを絵に描いて欲しいとお願いすると、
彼女は白い画用紙に真っ赤な花を描いてくれました。
花など何処にも見えない暮らしの中で、彼女の心の中には、真っ赤な花が咲いていたのです。
今、日本には、ニートの増加、派遣社員という働き方、
就職難民、鬱病など、働くということについての課題がたくさんあります。
これらは、生きるということについての課題と同じであるように思うのです。
私たちの目は、どのような明日を見つめているだろうか。私たちの心に、花は咲いているだろうか。
『いつも何度でも』という歌の中に次の様な歌詞がある。
「呼んでいる胸のどこか奥で いつも何度でも夢を描こう
かなしみの数をいいつくすより 同じくちびるでそっとうたおう」
私は、
誰もが元気に働けて、夢を描くことの出来る明日を目指して、
出来ることを精一杯やってみたいと思います。
それがわたしにとって、生きるということです。
『地球のハローワーク』という本は、そのようなことを決意させてくれる本でした。
世界とつながる明日のために。
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